沖縄の地で代々受け継がれ、愛されてきた伝統織物「ミンサー織」。そこには、さまざまなストーリーがあり、素敵な意味が込められていました。
ザ・ビーチリゾート瀬底・ヒルトンクラブの館内やお部屋にある壁面装飾、ファブリックに用いられている意匠は、沖縄古来の伝統的な織物の1つである「ミンサー織」をオマージュしたもの。とりわけヘッドボードのしつらえには、実際に本場・八重山地方の工房にオーダーした正真正銘のミンサー織で、瀬底島の美しい夕日や花々の色をイメージしてつくりあげた特別なオリジナルデザインです。
ミンサー織は、ほどよい厚みと素朴な風合いを持ち、縦畝織りで極めて強度が高い木綿布。元来、綿(ミン)で織られた幅の狭い帯(サー)という意味を持ち、かつては男性用の帯として織られてきましたが、昨今はテーブルランナーやタペストリー、バッグやお財布の生地としてさまざまな製品づくりに生かされています。
ミンサー織は、歴史に育まれた数ある琉球織物の1つ
ミンサー織の歴史は16世紀初頭の琉球王朝時代に遡るといわれています。
琉球王朝は1400年代から約450年間の長きにわたり、首里(現在の那覇市北東部)を中心地として中国や東南アジアと交易を重ねてきました。その交流によってもたらされたものの1つに織物があり、はるかアフガニスタンを発祥として、チベット、中国を経由して伝来した工芸技術が各地で発達を遂げ、それぞれに個性を持った織物へと結実していきます。
とりわけ、染織りの生産が盛んに行われていたのは、王府の城下町として栄えた首里でした。王家や貴族のためだけに織られた「花倉織」や官衣として使用された「道屯織」、繊細な4種の紋織を特徴とする「花織」、日本の絣(かすり)のルーツともいわれる「絣」など7種類の技法が編み出され、現在はその総称として「首里織」という名で織り継がれています。ちなみに、この首里織の7つの技法にはミンサー織も含まれており、「首里ミンサー」として親しまれています。
人の暮らしに根ざした伝統工芸
絹糸や麻糸、芭蕉糸など、多彩な原材料を用いて織られる琉球織物の中で、先染めの綿糸を使うのがミンサー織の特色です。産地は首里以外にも、読谷、伊波、八重山、与那国など多岐にわたり、それぞれの地域で独自の文様が編み出されていきました。
沖縄の重要無形文化財に指定されている「首里織」「読谷山花織」「八重山上布」が、主に絹糸(八重山上布は芋麻(ちょま)と呼ばれる上質な麻布)をはじめとする貴重な素材を用い、王朝への献上品として織られていたのに対し、木綿を用いたミンサー織は長い間、人々の日常に溶け込みながら広く愛用されてきました。
もちろん庶民的だからといって、他の琉球織物に比べて品質が劣るというわけではありません。ミンサー織は木綿ならではの持ち味である吸水性・吸湿性に優れ、耐久性にも秀でています。例えば、「読谷山ミンサー」「八重山ミンサー」は、前述した首里織、読谷山花織、八重山上布などと肩を並べ、経済産業省指定の伝統的工芸品に選ばれています。
八重山ミンサーの柄に込められたロマンチックな思い
時を経て現代、私達が巷で目にするミンサー織の多くは「八重山ミンサー」かもしれません。竹富島を発祥とし、縦畝織りで製織された絣織物である八重山ミンサーには、独特な絣柄があります。例えば、5つの絣柄と4つの絣柄が交互に織られたデザインは、「いつ(5つ)の世(4つ)までも末永く」といった意味。女性から男性への愛のしるしとして、自ら織り上げた帯を贈ったのだそうです。実は、リゾートの建物外壁(横)に施されているガラスにも同じデザインを使用しています。
一方、生地の端にあしらわれたムカデの足のような縦縞模様は、当時の通い婚(夫が妻のもとへ通う古代からの婚姻形態)が色濃く反映されたものなのでしょう。夫となる男性に対して「どうぞ足しげくおいでください」という、女性ならではのたおやかな願いが込められています。
これらの意匠は、ザ・ビーチリゾート瀬底の内観や、お部屋のインテリアにも見つけることができます。そして、そこに込められた思いは、クラブメンバー様の来訪を歓迎するリゾートスタッフの“おもてなしの心”に通じるもの。当地に滞在される機会がありましたら、ぜひ、ご注目ください。
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