本土とは異なる歴史と文化を持ち、古くから独特な城造りが行われてきた琉球王国には、今なお趣漂う「グスク」が数多く残されています。
歴史ファンならずとも、旅の楽しみの1つに挙げられるのが「城巡り」。また近年は、旅の「安・近・短」ブームや、コロナ禍における国内旅行の需要増加もあって、お城を目的地とした歴史散策に興じる人が増えています。
ザ・ビーチリゾート瀬底・ヒルトンクラブを擁する沖縄もまた、200から300におよぶといわれる城や城址が現存する城マニア垂涎の地。沖縄の城は「グスク」と呼ばれ、本土にある城とは見た目も機能も異なりますが、2000年には5つのグスクと4つの施設が「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
グスクの成り立ち
かつて沖縄では、12世紀頃から按司(あじ)と呼ばれる地方豪族や首長が登場し、それぞれの領地を支配していました。そして、彼らが拠点として築いたのがグスク(御城)でした。やがて1429年には尚巴志が北山、中山、南山の三山統一を果たし琉球王国が成立しますが、それに先立つ12〜15世紀にかけての時代区分を、グスクが盛んに造られたことから「グスク時代」と呼称する歴史学者もいるほどです。
グスクは戦国時代に建てられた本土の城とは明らかに異なり、必ずしも戦いに備えた軍事拠点ではありませんでした。集落を囲むように石垣が設けられ、敷地内には按司が住まう館や拝所に加え、一族の墓所があったとされるものもあります。また、古いグスクには必ずといっていいほど、神事や祭事を執り行う御嶽(うたき)があったことから、グスクの起源=聖域という説も採られています。
世界遺産にその名を連ねる今帰仁城跡
沖縄のグスクは、優美で秀麗な石垣が大きな特徴です。高度な土木技術で造られた城壁が地形に沿って緩やかなカーブを描き、中国大陸が誇る宮殿文化の影響を受けたアーチ構造の門によって外界との往来ができるようになっています。
ザ・ビーチリゾート瀬底から車で約20分の本部半島にある今帰仁城跡(なきじんじょうあと)でも、中世ヨーロッパや中国の城壁を思わせる見事な曲線美を見ることができます。
面積は約4ヘクタールにおよび、全長約1.5kmにわたって伸びる城壁は、首里城に次ぐ規模。琉球王国誕生以前の三山時代に北山王の居城として建てられたことから、北山城の別名でも知られています。
グスクの石積みは大きく分けて3つの工法がありますが、比較的加工のしやすい琉球石灰岩を豆腐のように四角形に削って組んでいく「布積み」や、五角形、六角形に面取り加工をして接地面を増やし、強度や耐久性を高める「相方積み」がポピュラーなのだとか。今帰仁城跡では、硬く加工しずらい古生代石灰岩を、そのままの形で積み上げていく「野面積み」という最も古い工法が用いられています。
ちなみに、世界遺産に登録されている「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は、この今帰仁城跡に加え、首里城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡を加えた5つのグスクと、識名園(庭園)、斎場御嶽(祈りの場)、玉陵(王族の墓)、園比屋武御嶽石門といった4つの関連遺産群によって構成されています。いずれも王国の栄華を偲ばせ、先祖への崇敬と祈願を通じて人々の精神的な拠り所となっている場所。いわば神聖な力が宿るパワースポットです。
とりわけ今帰仁城跡は、御嶽や拝所が多く、グスクが祈りの場であったことがよくわかる歴史的価値の高い施設。沖縄の御嶽のほとんどは一般の立ち入りを禁じており、この今帰仁城跡でも、看板の先は立ち入り禁止となっているところがありますのでご注意ください。
ご存じですか? 瀬底島にもグスクがあるんです!
沖縄には魅力的なグスクが数多く残されていますが、瀬底島にもグスクの遺構があるのをご存じですか?
場所はザ・ビーチリゾート瀬底から約1.5kmにある集落の南東。瀬底公民館近くにある農耕神を祀った祠で、国の重要文化財にも指定されている「瀬底土帝君」のさらに奥にあります。標高約60〜70メートルの小高い丘「ウチグスク山」にその痕跡を窺うことができます。
グスクに至る入り口には鳥居やヌルヒヌカン(祝女火神)の拝所があり、さらに進むと集落発祥の聖地としてグスクが建てられていたそうです。
グスクは沖縄の歴史に触れるためのスポットではなく、現在も日常的に祈りを捧げる場所として地域の住民やゆかりのある人々に愛されています。ぜひ敬虔な気持ちで訪れ、旅の安全を祈念してはいかがでしょう。
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