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中国が誇る遺跡「万里の長城」には、映画『ムーラン』とは別の中国の歴史が
隠されています。

世界七不思議の1つに選ばれている万里の長城。人の手によって作られ、中国北部の山、平原、砂漠へと曲がりくねりながら長く続く1本の城壁は、見る者の想像力をかきたてます。この有名な城壁に隠される真実を探ってみましょう。

万里の長城の真実

「万里の長城」という名前は、当初どこまでも続く城壁の長さを誇張するために付けられました。しかし実際には、万里(中国では約5000kmに相当)をはるかに超える長さの城壁が完成しました。

 

秦朝の始皇帝が外敵から守るために構築した万里の長城。秦朝は他の6国を制服し国を統一した後、他国の長城を繋げて大長城を作り上げたのです。

 

秦朝は紀元前221年から皇帝の死を迎えた紀元前206年まで、15年間続きました。万里の長城の城壁は、秦朝時代以前に他国が作った部分を除いても、2200年以上もの間、その姿を残し続けています。

 

1800年以上の年月がかかった城壁の完成。紀元前220年頃から、すでに構築されていた長城部分を繋ぎ合わせ始め、明朝時代の1644年に構築が完了しました。このように長い年月がかかった理由は、多くの時代で長城の建設が中断されたことにあります。例えば、唐の皇帝は城壁の後ろに隠すには国家が強力すぎるとし、長城防衛を放棄しました。

 

万里の長城の建設時に多くの農民が命を落としたことから、万里の長城は「世界最大の墓」と呼ばれることもあります。有名な伝説に「長城作りの夫を亡くした女性の悲しみの涙が長城の一部を崩した」という話があるほどです。

 

多くの中国人作家、詩人、歴史家は万里の長城の姿を、景色の中を横切る巨大な龍に例えてきました。長城によく似た龍は、帝国の強さと権力の象徴そのものでした。

 

万里の長城には大きな亀裂があり、敵の侵入を許すことがありました。モンゴルの統治者チンギス・ハーンは容易に万里の長城を突破し、中国に侵入したのです。

 

「万里の長城は月から見える」と言われますが、実際には月から見ることは不可能です。

 

万里の長城は徐々に消滅の危機に直面しています。その原因として、気候や観光客による城壁の浸食や崩壊が挙げられます。長城を保護しようとする努力が行われています。

 

万里の長城で行われた最後の大きな戦いは、日中戦争中の1938年です。城壁にその当時の銃痕を見ることができます。

 

長城の建設に人骨から作られた漆喰が使われているという言い伝えがあります。しかし実際には、米粉から作られた漆喰が使用されています。

 

1950年代に、毛沢東は新たな文化を中国の象徴として世に示すため、万里の長城を破壊することを奨励しました。破壊された城壁は近くの村の建物の建設に使われました。それ以来、長城はよりいっそう中国の象徴、そして中国人の誇りとなったのです。

 

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